 |

|
|

|
私たちが人生の最期に望むもの・・・ 静かに人生の幕を下ろしたいと望んでも、思うにまかせないものです。
子供の数が減り、 一人暮らしが増えた昨今、自分の死後をどうするかは切実な問題になりつつあります。
「ご先祖のお墓は遠くてほとんど行くこともない」
「墓守をする係累がいない」
「血縁が薄く一家の墓に入りづらい」
といったご相談を多く受けるにつけて ”何が出来るか・何をすべきか” このことを真剣に検討して参りました。そして、この度共同墓地が生まれました。大阪の谷町筋に面した当苑で、人手をわずらわせず、永代静かにお休みいただけるよう、お手配させていただきたいと思います。
お名前は「かひな堂」と命名しました。「かひな」とは、海や浜に多くの船が入ったとき、 船と船をつなぐ縄の事です。 私たちは、佛の子として、みな「かひな」(佛縁)でつながっているのです
→お申し込みはこちらからどうぞ |
|
 |
|
身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)の領地でした。
日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山1274年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。
このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。
日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名されました。日蓮聖人のご入滅以来実に700有余年、法灯は綿々と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。
|
|
 |
日蓮宗本山村松海長寺第九世、十如院日海上人が海中涌現の祖師を授かり開基し、大永7(1517)年に創設され、第十世華蔵院日報上人代、慶長6(1602)年に大阪摂津西成西高津村(現在地)に本多忠豊公(忠勝の祖父)の擁護寄進を受けて移転・開山致しました。
寺門は本多葵。 当山は総本山身延山久遠寺直属の中本寺の寺格を有し、身延山筆頭直末の寺とされていました。摂津大阪宗門寺院の中で初めて神詞勧請がなされ戦前は参詞者を数多く集め、庶民門前市をなす賑わいでした。
しかし、昭和20年の大阪空爆で七面伽藍・境内1160余坪が灰燼に帰し、その後戦災都市復興計画により境内地縮小され、昭和42年にほぼ現在の寺観に修復されました。昭和56年、戦後二度目の本堂を再建し、身延山第89世法主より拝名を賜った堂内墓地『身延谷町浄苑』等を併設し、堂宇荘厳を有し、身延直末の名に恥じない復興を、日々精進しております。 |
|
|
|
CopyRight 2006 海寳寺 All rights reserved. design by novianovio |